銃 器 編

こちらのページは、まだPDF化していません。ある程度、たまったらPDF化する予定です。




鑑定NO.1 [ エキストラ1 ]
鑑定NO.2 [ エキストラ2 ]
鑑定NO.3 [ 三文芝居1 ]
鑑定NO.4 [ 三文芝居2 ]
鑑定NO.5 [ 歪曲写真 ]






鑑定NO.1 [ エキストラ 1 ]

被写体:日本兵と中国人捕虜

状況:新兵の日本兵が、度胸を付ける為に、中国人捕虜を使って刺殺訓練を行っている所。

撮影日時:1938年7月から一年間。場所は南京郊外らしい。

撮影者:南京の兵站病院で衛生伍長として勤務した坂本多喜二。出典は、「赤旗」岡山通信部の47頁。


鑑 定
デタラメな銃剣操作 不自然な犠牲者




銃剣の突き技
構 え

後手(右手)を腰骨に添えて、重い銃剣を支える。
土台である体は、常に真っ直ぐな姿勢を保たねばならない。


立ち方は、剣道を除く日本武道では最も一般的な半身立ち。

突 き

<腕の動き>

先手(左手)の役割は、銃身の軌道を突く方向に導くだけであり、先手の力を使って突く事は無い。
腰に据えていた後手を繰り出し、突いた瞬間、銃床を右胸に添えて銃身を支える。

<足の動き>
突くと同時に、後足で地を蹴り、先足を送り出す。
先足を送り出すと同時に後足を引き付ける事によって、構えた時と突いた時の歩幅が同じ幅になるようにする。
上記の二つの写真の転載元)「銃剣道教本」 高橋華王著 ベースボール・マガジン社 1993/7 55‐56頁

銃剣術の体と銃剣の関係を例えるならば、体は「車」であり、銃剣は「破城槌」である。
「破城槌」を知らない人には、体は「砲台」、銃剣は「砲身」といった方が分かりやすいか?

銃剣で突きを行う際は、先手と後手で「破城槌(砲身)」を突くべき位置に移動させつつ、その「破城槌(砲身)」を乗せた「車(砲台)」を前進させる事で突き込むのである。
ゆえに、「車(砲身)」と「破城槌(砲台)」の動きは独立してはならず、脇を締め、銃剣は体にそうようにして動かす。

しかし、素人はこの基本が分からない為、得物を持たせると、必ず両腕の力で得物を支えて操作しようとする。
その為、先手は強く握り込まれ、操作の度に後手は体から大きく離れてしまう。

銃剣の握り方
コンバットグリップ 世界の多くの武器術で用いられる基本的な握り方。
四指を斜めに添え、柔らかく握る。
構えや動作に応じて得物を握る角度は変化させねばならない。それを柔軟に行う為にも、この握りが不可欠である。
またこれは、手首への負荷を軽減する他、先手の力で得物を振り回してしまう事を防ぐ役割もはたしている。

左の写真は、木刀を使っているが、銃剣を握る時も同じである。

ハンマーグリップ 四指を真っ直ぐに添えて、固く握る。
柄頭で敵を撃ち殺す時に用いる以外は、使い道のない握り。
普通、素人が得物を持つと、この握りになる。
ちゃんと銃剣術の教練を受けた者や銃剣を使い慣れた者ならば、このような握りを用いる事は無い。
デタラメな銃剣操作

後手が、体から大きく後方に引かれている。
流派にもよるが、槍術で“繰り突”き(先手を環にして、後手で勢い良く得物を繰り出す突き方)を行う時は、このように後手を引く事は確かにある。
後手を大きく後ろに引いてから、突く時に先手の中で得物を大きくスライドさせる事で、槍に勢い良く加速を付けて繰り出すのだ。

だが、銃剣術で“繰り突き”を行う時は、先手を若干スライドさせる程度であり、このように後手を大きく後ろに引く事は無い。これは、銃剣はその形状から、十分に先手の中でスライドさせる事ができない為である。

ポイント1:後手が、銃剣術では有り得ない動作をしている。


槍術の場合、“繰り突き”を行う為に、後手を後ろに大きく引く事がある。
だが、先手の方はスライドさせるだけである為、先手まで一緒に後ろに引かれる事は無い。
先手は、基本構えである中段の位置に据えたままか、あるいは、半身に構えた体の前面の腰辺りに据えるのが普通だ。

だが、この執行者の先手は左胸元まで引かれている。“繰り突き”を行うつもりならば、このような位置にまで先手を引くことはない。
むろん、旧日本軍の銃剣術では、先手がこのような位置に来る動作は無い。

ポイント2:先手が、銃剣術では有り得ない動作をしている。


執行者のグリップは、どう見てもハンマーグリップである。
ちゃんと教練を受けた人間の握り方ではない。

ポイント3:執行者は素人。


執行者らは、送り足(「後足で地を蹴る」「先足を送り出す」「後足を引き付けて歩幅を一定に保つ」の動作を同時に行う足運び)で、非常に大きく踏み込んでいる事が分かる。
普通、大きく踏み込むのは、敵の位置が遠い場合である。
捕虜を処刑したいのであれば、間近から普通に突けば良く、このように距離を取って大きく踏み込む必要性はない。
しかも銃剣は、通常の突きでも十分過ぎるほどの威力がある為、このように大きく踏み込んで勢いを付ける事は無意味である。

ポイント4:執行者らは、意味も無く、勢いを付けて踏み込んでいる。


ハンマーグリップで銃剣を握り、両肩に力を入れ、思いっきり両腕を後ろに引いている。
腕の動きが完全に体から独立しており、両腕の力だけで銃剣を操作している。
銃剣を扱った事が無い、素人の動作である。

ポイント5:執行者は銃剣術の素人。


しかも、この執行者は、前述の通り後手と先手が有り得ない位置にきている。。
この両拳の位置から察するに、これは突き繰り出す瞬間の動作ではなく、銃剣を後ろに引いた瞬間の動作である。
なぜ、銃剣を後ろに引いているのか?
写真の地形をご覧頂きたい。
執行者らの前方に地面がせり出し、段差が生じている。
執行者らは非常に勢いを付けて踏み込んでいるが、もし、この距離からこの勢いで本当に“突き”を行えばどうなるか?
間違いなく、執行者らの銃剣はせり出した地面に激突してしまう事になる。
執行者らは、銃剣が激突するのを避ける為に、無意識に銃剣を後ろに引いてしまっているのだと思われる。
そう。執行者らは本当は突きの動作を行ってはいないのだ。

ポイント6:執行者らは銃剣を持って前進しているだけであり、実際には突きの動作を行っていない。


後ろの執行者に注目して頂きたい。
(a)の位置に、銃床がある事が分かる。
通常、後手は右腰に据えた状態を定位置とし、突く時は胸元へと移動する。
どのような突き方をすれば、このような位置に後手が来るというのか?
これは旧日本軍の銃剣術では、絶対に有り得ない光景だ。

ポイント7:後手が、有り得ない位置にきている。


さらに、先手の肘(b)をご覧いただきたい。
先手の肘が伸びきっている事が分かる。
先手の肘が伸びるのは、敵に銃剣を突き刺した瞬間である。だが、まだ突き刺す前でありながら、既に先手の肘が伸びきっている。
これも有り得ない動作だ。
仮に、これが刺殺場面ではなく、射殺場面だとしても、先手がこのように不自然に伸びた状態で射撃を行う事は無い。
どうみても、銃剣の持ち方を知らない素人が、ただ適当にポーズを取っているだけである。

ポイント8:先手の肘が、有り得ない状態になっている。

不自然な犠牲者

(a)
の棒状の物が銃剣の先。
(b)(c)が捕虜である。
お分かりだろうか?
銃剣(a)が奥(b)と手前(c)の捕虜の“間”にある事を。
そう。この銃剣の先には、捕虜は立っていないのである。

ポイント9:捕虜と銃剣の位置がずれており、誰もいない場所に銃剣を突き刺そうとしている。

右の絵は、「F」の場面を図面化したもの。
柿色が銃剣を持った執行者。緑色が捕虜だ。

丸で囲ったのが銃剣の先である。
そして、この銃剣の先にあるのはせり上がった地面であり、捕虜は立っていない。

ポイント10:これも捕虜が立ってない場所に、銃剣を突き刺そうとしている。

右の絵は、「G」の場面を図面化したもの。
柿色が銃剣を持った執行者。緑色が捕虜だ。

一見、銃剣で捕虜を刺す瞬間のように見える。
しかし、銃剣の大きさと捕虜の大きさから察して、実際には、捕虜は銃剣よりも写真奥側に立っている事が分かる。

ポイント11:これも捕虜と銃剣の位置がずれており、やはり捕虜が立っていない場所に銃剣を突き刺そうとしている。


これも銃剣の前にあるのは捕虜ではなく、せり上がった地面である。

ポイント12:実際には、捕虜に向かって銃剣を突き付けている執行者は一人もいない。


捕虜の束縛方法をご覧頂きたい。
ただ、両手を後ろ側で縛っているだけである。
捕虜らは何ら固定されていない。
兵士らに抑え込まれてすらいない。

ポイント13:捕虜たちは手以外は封じられていない為、容易に銃剣をかわす事ができる状態のままになっている。
鑑 定 結 果

まず第一に、執行者の銃剣の握り方及び持ち方。全てデタラメである。
特に「E」の執行者に至っては、絶対に有り得ない構えを取っている。
(銃剣道の“試合”ならば、銃剣を巻き上げられた時や相手の体に銃剣を押された時などに、後手が「E」のような位置に来ることはありえるが)
何をどうすれば、銃剣で刺殺する時に、このような動作を行う場面に出くわすというのか?

第二に、どの執行者も実際には“突き”の動作を行ってはおらず、ただ、後ろに銃剣を引いているだけである。
後ろに銃剣を引いているのは、前にあるせり出した地面に銃剣が激突してしまう事を恐れている為だと思われる。
それとも単に、後ろに大きく引いた方が、勢いが付いているように見えると思ったのか?
いずれにせよ、執行者の動作は、突きを行う時の動作ではない。

第三に、その犠牲となる捕虜は、後ろ手に縛られているだけであり、何ら固定されていない。
これでは、遠距離から繰り出してくる執行者の突きを容易にかわす事ができてしまう。不自然である。

第四に、しかも執行者と犠牲者の立ち位置が微妙にずれており、実際には執行者の前には一人も犠牲者は立っていない。

百%やらせ写真である。
ただしい銃剣操作を行わないばかりか、無意味に大きく踏み込んでいるのは、ただしい銃剣操作を指導できる人がいなかった為というよりも、ビジュアル上の問題だったと思われる。本物の銃剣の正しい突きは、驚くほどシンプルであり、何ら迫力を感じられないからだ。
わざわざ、大勢のエキストラを用意して撮影している点から察して、アメリカの当局辺りが作成してバラ巻いた写真か?
坂本多喜二が撮影者という事になっているが、出典が「赤旗」である為、このキャプションは“後付”の可能性が考えられる。









鑑定NO.2 [ エキストラ 2 ]

被写体:日本兵と中国人捕虜

状況:日本兵が新兵の訓練の為に、中国人捕虜を刺殺している場面。

撮影日時:1938年。南京か蘇州。

撮影者:撮影者は日本人。所有者は、漢口在住のW.A.Farmer。現像する際に誤って中国人が経営する上海の写真店に持ち込んだ為に、この写真の存在は明るみになったという。

出典は、「Look」 1938年11月22日号
鑑 定
不自然な風景 三人の素人




不自然な風景

両拳ともハンマーグリップ。
立ち方、両拳の動きも、銃剣術で突きを行う時のものではない。
これは、シャベルで地面を掘る時の動作に近い。

ポイント1:兵士は銃剣術の素人。

写真の隅に、のんびりと寝そべっている人物がウッカリ映っている。
左手を腕枕にし、右足を左足の上に乗せて曲げており、リラックスした姿勢を取っている事が分かる。
姿勢からみて死体ではない。

ポイント2:緊迫した場面にも関わらず、寝そべって見学している者がいる。

三人の素人

両拳ともハンマーグリップ。
教練を受けていない素人の握り方である。

ポイント3:兵士は素人。

旧日本軍の銃剣術に、銃床で殴るという技は無い。
もっとも、銃床で殴るくらいならば、習わずとも誰にでも出来るが。

ポイント4:旧日本軍の銃剣術には無い技を使用している。

兵士が、捕虜の左側から側頭部を殴っている点に注目して頂きたい。
分かり切った話だが、普通、右手が銃把の方を握り、左手が銃身を握る。
ゆえに、その状態から銃床で殴るという動作を行えば、右手を振り出し、左手を自分の胸元に引き付けるという動きになる。しっかりと打ち抜きたい場合は、体全体の力を用いる為に、振り出しながら左右の足を入れ替える。
所が、写真の兵士は、左右の拳の位置が逆である。ゆえに、捕虜の左側頭部を殴ってしまっている。

基本姿勢
銃剣は、必ず左構えで持つ。
銃床側を右手で握り、銃剣に近い位置を左手で握る。
その場で銃床打ち
踏み込まずに、その場で打ち据える時は、基本姿勢より、上半身のみを回転させる。
踏み替えて銃床打ち

踏み込んで打つ時は、後足を前に繰り出しつつ、姿勢を180度回転させながら打つ。

写真の兵士は、両拳も姿勢も全て逆である。



ポイント5:兵士の両拳の位置も動作も、全て逆である。


銃床による一撃は強烈である。
まともに頭にくらえば、頭蓋骨はただでは済まない。
だが、頭部を打った瞬間でありながら、血飛沫はなく、体は倒れず、頭も傾いてすらいない。
これは殴った瞬間ではなく、単に、側頭部に銃床を当てているだけである。

ポイント6:本当は、殴っていない。


低い位置の物を攻撃する場合、
歩幅を広げる事で、自らの上半身の位置を低くして高さを合わせるのが基本だ。

目標が前方にある時は、さらに先足の膝を曲げ、後足の膝を伸ばす。
上半身は、腰を曲げる事無く、やや前傾させる。
上半身を前傾させる理由は、より高低の差を縮める為であり、同時に得物に自分の体重を乗せる為だ。

写真の兵士をご覧頂きたい。
足元に転がる捕虜を刺していながら、上半身(a)は前傾しておらず、高低の差が大きく開いたままになっている。
ゆえに、足元の捕虜との距離があり過ぎる為に、“腕を目一杯伸ばす事で、銃剣を届かせる”という不自然な姿勢になっている。
当然、銃剣に体重が乗せられていない為、これで捕虜を突き殺すのは困難である。
(日本軍の銃剣は、突貫力を高める為、使用する際は事前に砥石で刃を潰すのが慣例だ。刃がない分、なおさら、このような突き方では殺傷する事はできない)
下方前方を突く姿勢
左は、下方前方を突いた時の自然な姿勢。
先足は曲がり、後足は伸び、上半身はやや前傾する。
なお、未熟な者や素人が行えば、上半身はくの字に曲がってしまいがちである。

ポイント7:突く動作にしてはおかしい。また、このような動作では突き殺せない。


さらに良く観察すると、銃剣で刺した瞬間は先足の膝が良く曲がり、後足の膝が良く伸びる。だが、この兵士の両足(b)は先足の膝が伸び、後足の膝が曲がっている。
突き刺さった銃剣が固くて抜けないが為に、後足を曲げて踏ん張り、先足を伸ばしているとも考えられる。が、その割には上半身は後ろに傾いておらず、先手も伸びたままである。ゆえに、これは引き抜く動作でもない。

ポイント8:足の動きから見て、銃剣で突いた瞬間でも、銃剣を抜いた瞬間でもない。


良くご覧頂きたい。
この銃剣は、捕虜のどこに刺さっているのか?
一見、脇腹を刺しているように見える。だが、良く見れば、脇腹よりも、むしろ腹部側に銃剣がある事が分かる。
もし、体の前面(腹部や胸)側から突き刺されているのならば、この捕虜は、仰向けに仰け反っているはずだ。
だが、捕虜の姿勢は横向きである。
この捕虜には、実際には銃剣は刺さっていない事が分かる。ただ、腹部側に銃剣の刀身を当てているだけだと思われる。

ポイント9:銃剣で刺したように見せかけているだけで、実際には刺さっていない。

鑑 定 結 果

第一に、これらの写真は、前述の「エキストラ 1」と同じ場所で行われた虐殺場面であり、撮影者は同じく坂本多喜二だといわれている。しかし、各写真サイズはバラバラだ。実際には複数のカメラマンによって撮影されたものである事が分かる。

第二に、この被写体の兵士たちは、その銃剣の握り方や操作方法から考えて素人である。教練を受けた本物の兵士ではない。

第三に、特に左の写真に写っている“銃床で殴る兵士”と“銃剣で突く兵士”は、ただポーズを取っているだけに過ぎない。

さらに一枚の写真の中に、“撲殺の瞬間” “刺殺の瞬間” “連行(写真中央付近)場面”という決定的瞬間が、偶然にも三つ同時に映っており、意図的な演出を思わせる。

百%ヤラセ写真であり、これもアメリカの当局辺りが作成してばら撒いたものかと思われる。








鑑定NO.3 [ 三文芝居 1 ]
被写体:日本兵と中国人捕虜

状況:中国人捕虜に、日本兵が銃剣を突き付けて脅している

撮影日時:撮影日時は、1937年頃とされている

撮影者:不明

鑑 定
デタラメな縛り方 素人



デタラメな縛り方

(a)は、捕虜の腰の高さまである杭。
(b)は、杭に結び付けられている縄の部分。。
(c)は、杭に結び付けられた部分から、捕虜の背中まで伸びている縄。

建物の角部分が、捕虜の背景に重なっている為、一見、捕虜は長い柱に縛り付けられているように見える。
しかし、実際には、体を束縛した縄を短い杭に繋いでいる事が分かる。


ポイント1:捕虜は、短い杭に繋がれている。


(d)は、上半身に二重に巻かれた縄。
(e)は、大きな縄の結び目。



日本の捕縄術には、「早縄」と「本縄」の二種類がある。
「早縄」は、素早く捕虜や囚人を捕らえる為の縛り方だ。「本縄」は、捕虜や囚人を長時間束縛する為の縛り方だ。
しかし、この捕虜の縛り方は、日本のいかなる「早縄」にも「本縄」にも該当しない。

ポイント2:捕虜の束縛方法は、従来の「早縄」と「本縄」には存在しない縛り方を用いている。


では、これは新種の「早縄」か?
否、「早縄」には、結び目を作らないという特徴がある。
(e)を見れば分かる通り、大きな結び目がある。ゆえに、これは「早縄」を用いた縛り方ではない。
では、これは新種の「本縄」か?
否、「本縄」は、縛られた者へ負担を与えない為に、肉体に縄が食い込むような縛り方は行わない。
しかし、(d)を見れば分かる通り、二の腕に縄が食い込んでいる。これは「本縄」を用いた縛り方ではない。

ポイント3:新種の「早縄」や「本縄」ですらない。


では、これは捕縄術を知らない兵士が、適当に巻いたのか?
否、この捕虜は上半身に縄を二重に巻いているだけである。
これでは、捕虜が肘を外に突き出しただけで、縄は上方にズレてしまい、束縛が解けてしまう。
また、二の腕を後ろに回しただけで、縄は下方にズレ落ちてしまい、束縛が解けてしまう。
この縛り方では、何ら束縛の役割をはたしていない事が分かる。

ポイント4:縄を二重に巻いているだけであり、実際には束縛の役割をはたしていない。


では、捕縄術を知らず、縄を二重に巻いただけでは束縛できないという事すら分からない、バカな兵士が捕虜をこのように縛ったのか?
否、(e)を見れば分かる通り、結び目が胸側にある。普通、素人が人を縛り上げようとすれば、後ろから抑えこみながら縄を打つ形になる。その為、結び目は背中側にできる。
だが、胸側に結び目があるという事は、この捕虜と兵士は、仲良く向かい合った状態で縄を巻きつけたという事になる。

ポイント5:互いに示し合わせた上で、縄を巻いている。

素人

両拳とも、ハンマーグリップ。
素人の握り方である。

ポイント6:兵士は、教練を受けていない素人。
鑑 定 結 果

まず、第一に、縄の縛り方が全くデタラメであり、何ら束縛の役割をはたしていない。
第二に、グリップを見る限り、銃剣を突き付けている兵士は、教練を受けていない素人である。
第三に、脅す兵士も脅される捕虜も、互いに向かい合ってはいない。二人とも、カメラ側を向いて立っている。
これは、この二人(兵士と捕虜)が初めから撮影目的で立っている事を示している。
第四に、捕虜の表情には恐怖心も疲労感も見当たらない。ただ、ションボリとした表情を作っているだけである。

非常につまらない三文芝居であり、100%やらせ写真である。









鑑定NO.4 [ 三文芝居 2 ]

被写体:日本兵と中国人僧侶


状況:日本兵が、短銃で僧侶二人を処刑しようとしている

撮影日時:撮影日時は、不明

撮影者:不明

鑑 定
不自然な状況 おかしな軍装




処刑スタイル

通常、短銃のような射的距離が短く威力も低い小火器を用いて人を殺す場合、以下のような条件を満たした上で執行するものだ。

1)確実に死亡させる為に、頭部などの急所を狙う
2)執行者の手元が多少ぶれようとも、犠牲者が動こうとも、確実に仕留める事ができる至近距離(もしくは銃口を密着させた状態)から発砲する
3)的となる犠牲者が動けない状態にする。

この三つの条件を満たした処刑方法を一般的に“処刑スタイル”と呼ぶ。
この“処刑スタイル”は、マフィアや死刑の専門家だけが用いている訳ではなく、人が小火器を用いて捕らえた人物を殺そうとする際に自然と生じるスタイルでもある。


<自然に生じた“処刑スタイル”の例>

1990年5月1日、アメリカのニューハンプシャー州で、男性(グレッグ)が殺害される事件が起きた。
この殺人は、一見、物取りの犯行のように見せかけられていたが、警察は現場検証から、“犯人は「窃盗」ではなく、初めから「殺人」が目的だったのではないか”という疑惑を抱いたという。
事実、その後の共犯の少年の証言により、被害者の妻(パメラ・スマート)に依頼された15歳の教え子の少年と、その友人らによる犯行である事が明らかとなった。
これは映画『誘う女』のモデルとなった有名な事件だ。

なぜ警察は、「物取り」ではなく「殺害」が目的だと分かったのか?
それは被害者の男性が、“その場に屈まされ、耳の後ろに銃口を直接当てた状態で撃たれる”という、まさに“処刑スタイル”で死んでいた為だ。
物取りに入り、住人に見つかったが為に咄嗟(とっさ)に殺害したのであれば、このようなスタイルにはなりえないのである。
もちろん、犯人の少年は“処刑スタイル”を知っていた訳ではない。捕らえた犠牲者を“確実に殺そうとする少年の意思”が、自然と、銃口を頭部にあてがって撃つという“処刑スタイル”になってしまったのだ。

不自然な状況

小火器と犠牲者の位置が、人間の肩幅一つ分ほど、遠い位置にある事に注目して頂きたい。
この執行者が、本気で捕虜を処刑するつもりならば、直接頭部に銃口を当てるか、あるいはもっと至近距離に銃をかざすはずである。

しかし、実際には肩幅一つ分も離れた位置から銃口を向けている。
この距離では、執行者の手元がぶれるか、あるいは犠牲者が動いただけで、仕損じてしまう。



ポイント1:執行者が、“処刑スタイル”を取っていない。


二人の捕虜の状態をご覧頂きたい。
両手(a)(d)を全く束縛されていない。足元(e)も束縛された様子がない。
正座すらされておらず、いつでも走って逃げられる状態でおかれている。

短銃の射程距離は、わずか30メートルに過ぎない。
犠牲者が逃走を企て、全力で遠ざかろうものならば、その命中率はさらに下がってしまう。
ゆえに執行前に、普通は、“手や足を縛る”“地に伏せさせる”“跪かせる”“退路を断つ為に壁際に立たせるか座らせる”等の方法で、犠牲者の動きを封じておくものだ。
だが、二人の犠牲者は全然封じられていないのだ。

しかも、一人の執行者の前に二人の犠牲者が置かれており、「C」の犠牲者に至っては、「B」の犠牲者のお陰で、執行者の死角に入ってしまっている。
これでは、無事、「B」を処刑できても、「C」を策敵して照準を定めた時には、短銃では射殺困難な距離に逃げられてしまう恐れがある。
二人の捕虜の状態も位置も、処刑場面にしては極めて非合理である。

ポイント2:犠牲者の状態や位置から見ても、“処刑スタイル”からは程遠い。


また、「B」の僧侶の下半身を見れば、少し腰が浮いている(b)事が分かる。
両足のスネも真っ直ぐに立てられている(c)事が、僧衣の下からでもうかがえる。
これは、この僧侶が床机(しょうぎ)椅子に腰掛けている証拠である。
さらに、「C」の僧侶は地べたに座っているものの、正座させられている訳ではなく、足を崩している(e)事が分かる。
(状況から見て、床机に腰掛けている僧侶が師匠で、地べたに座っている方が弟子かと思われる)

ポイント3:座っている状態からみて、全然、地面に引き据えられた場面には見えない。

おかしな軍装

良く見ると、帽子のサイズが二周りほど小さい。

ポイント4:執行者は、サイズが合わない帽子をかぶっている。

執行者は、腰に鞄を付けている。
この鞄は、いわゆる肩に帯を掛けて腰に吊るす、“図嚢”と呼ばれるものだ。

だが、少なくともこの写真からは、鞄の帯が見当たらない。
むしろ、帯を用いずに、腰帯の右側に鞄を引っ掛けているように見える。

また、鞄の形状は“図嚢”というよりも、“将校背嚢”に近いように思われる。(私の見間違いかも知れないが)
“背嚢”は、背中に背負うタイプの鞄の事だ。

ポイント5:執行者は、“将校背嚢”を間違って腰に付けている可能性がある。


右が、“将校背嚢”。
画像元)WIKINGメニューページ

軍刀の鞘の反りをご覧頂きたい。
納刀した状態の刃を下に向けて吊るしている事にお気づきだろうか?

刃を下に向けて吊るすのは、中世の日本の戦場で太刀(野戦用の刀)を腰に履いた時のスタイルだ。
それ以外では、普通、刃は上に向けて差す。

これは日本軍でも同じであり、腰帯に差す時でも佩鐶を使って吊るす時でも、刃は上を向くようにする。
さらに、日本軍では刀を差す際、刀の鞘尻を下方に落として、刀の柄頭を胸元に近づけるようにする、“落とし差し”という伝統的な差し方を用いる。

だが、写真の執行者の刀は“落とし差し”ではない。これは“鶺鴒差し”という差し方だ。

ポイント6:刃の向きと刀を差す角度が、日本軍の様式ではない。



左は、佩鐶を使って刀を腰に吊るしている兵士。
刀を納めた時、刃が上(むしろ後方)を向くように鞘を吊るしている。また、その鞘を極端な“落とし差し”にしている。
画像元)「軍刀の操法及び試斬」国防武道協会発行 1943年11月 8頁





右は、腰帯に刀を差している兵士。
同じく、刀を納めた時、刀の刃が上を向くように鞘を差している。鞘も“落とし差し”にしている点に注目。
画像元)「軍刀の操法及び試斬」国防武道協会発行 1943年11月 28頁
 
鑑 定 結 果

執行者の態度も捕虜の状況も、全然、“処刑スタイル”ではない。
犠牲者も、いつでも逃亡できる状態におかれており、本物の捕虜とは思えない。

また、軍帽のサイズが合っておらず、“将校背嚢”を誤って腰に付けてしまっている。
その上、刀の差し方も日本軍の様式ではない。
(ただし、戦争末期は軍服が不足していた為、帽子のサイズが合わないのは、その為かも知れない。戦争末期に新兵として徴兵された剣道界の第一人者・井上正孝も、配給された軍服は継ぎ接ぎだらけのボロボロだった上に、服も靴もサイズがバラバラであったと語っている。参考/井上正孝著書「我が剣道と人生」致知出版社 2003年2月 104~106項

結論として、この写真は、国民党軍かアメリカの当局が作成した単なるプロパガンダ写真だと思われる。
軍装がおかしいのは、適当に集めた軍服を役者に着用させた為だと思われる。
刀の差し方が日本軍の様式ではないのも、撮影監督や小道具係りが、その事を知らなかった為だろう。

また、僧侶の一人は床机に腰掛けてくつろぎ、もう一人が地面でくつろいでいる点から見て、エキストラではなく、たまたま近くでくつろいでいた僧侶を利用しただけかと思われる。
二人の僧侶が顔を伏せているのは、フラッシュの音と光に驚いた為か、
(昔は、マグネシウムの粉をライターの石で着火し、それをフラッシュとして使っていた為、派手な音が鳴った)
あるいは、カメラに撮られる事に若干の不安を感じた為か、
(日本でも幕末の頃は、カメラに撮られると「魂を抜かれる」という迷信があり、21世紀に入っても中米グアテマラの先住民の間には同様の迷信が存在している。参考/毎日新聞 2000年05月02日 東京朝刊 1頁 1面
あるいは、カメラマンの指示の為か。









鑑定NO.5 [ 歪曲写真 ]

被写体:二人の中国人捕虜


状況:日本兵が、背後から中国人を銃殺している

撮影日時:南京大虐殺の時のものといわれている

撮影者:不明

鑑 定 結 果

上記の画像のオリジナルが、左の画像である。(ただしくは動画の1シーン)
ご覧の通り、銃を構える右側の人物らがトリミングされている事が分かる。

撮影場所、撮影日時、撮影者は不明だが、この銃を構える人々は、服装から見て日本兵ではない。
中国側の警察だ。


日中戦争勃発後、中国の国民党軍が日本軍によって西南地域にまで追い詰められ始めると、共産党軍は漁夫の利を狙い、これに乗じた。
彼らは、日本軍によって国民党軍が追い払われ、さらにその日本軍自身が進撃の為に立ち去った地域の内、守備隊を置かない農村地域を中心に占領し、勢力を拡大し始めたのである。
参考)「中国がひた隠す 毛沢東の真実」 北海閑人(著) 寥建龍(訳) 草思社 2005年10月7日 54~65項

彼ら共産党軍は、占領した地域において、「日本軍と最初に接触した人民」、「日本軍の占領地に親族がいる人民」、「消極的な協力者」を漢奸(売国奴)に認定し、該当者は片っ端から処刑していた。
上記の画像は、公式の処刑場で処刑する場面とは思えない為、漢奸に認定した中国人民を川辺に引き立てた共産党軍(紅軍)の警察が、虐殺を行う場面だと思われる。

このように、中国人が処刑や虐殺を行っている場面に細工を施し、日本兵の仕業に見せかけるのも、プロパガンダ写真では非常に良くあるパターンだ。

中国の警察の制服

左は、1938~1942年に使用された解放区人民警察制服。
画像元)松都市公安局公安征服の歴史

右は、中国の軍閥警察の制帽。
画像元)モーリー公司の「参考品」ページ。



BACK

反日勢力撃退用・PDF資料館

反日勢力撃退用・html版資料館




inserted by FC2 system