佐藤立志の原稿は、どうなったのか?
保険評論家・佐藤立志氏が亡くなって10年以上の月日が経ちます。
2008年頃に、私のブログでも公表しましたが、彼は、2ch運営の闇を調査し、2005年には告発本を書き上げていました。
当時の彼は
「これを公表すれば、日本中が大騒動になる」
「西村博之はおしまいだ」
と自信満々で、あとは本を出すだけという段階でした。
……しかし、私にスポンサー探しまでやらせていた彼は、土壇場で怖気づき、逃げ出してしまいました。
実は、それ以前にも、彼は二度逃亡していました。
一度目は、私との交信用に使っていたメールアドレスを、彼が出会い系サイトでも使っていた事が発覚した時です。
私は、彼に「メールアドレスは使い分けた方がいい」と注意した所、恥じた彼は「アカウントを盗まれ、悪用された」と言い訳し、以降、音信不通になってしまいました。
交信再開できるようになるまで一年以上かかりました。
二度目は、私が、彼の正体を突き止めた時です。
彼の私信の八割は、他人の悪口(特に二階堂豹介氏の悪口)と自慢話でした。
その自慢話に出てくる経歴と、彼の発信元(佐藤立志の事務所があるビルのネカフェ)から、彼の正体が佐藤立志である事は容易に分かってしまいました。
私と匿名で交信しているつもりだった彼は、私に正体がバレている事に気づくと慌てました。
そして、
「雑誌『宝島』の編集長に、あなたという凄い人がいる事を伝えておきます」
と言い残し、またしても、彼は私との交信を断ちました。
再び、交信再開できるようになるまで、またも一年以上かかりました。
そして、暴露本の出版化という一番大事な時に、彼は三度目の逃亡をはかったのです。
彼の逃亡理由は、
一つは「あなたの名義を貸して欲しい」という彼の要望を私が拒否した為であり、もう一つは、おそらく私が紹介したスポンサーが原因です。(ややこしい話の為、詳細は割愛しますが)
彼は、
「西村博之の資産は、私の想像をはるかに超えていた」
「知り合いの検事から、危険だから手を引くように言われた」
と胡散臭い言い訳を並べて出版化を断念すると、またまた私との交信を断ちました。
彼の事務所に直接電話を掛けても、彼は出ようとしませんでした。
それから三年後……再び彼に交信を試みようとした時、私は、既に彼が結核で亡くなっている事を知りました。
さすがに私は慌てました。
暴露本は、彼が数年かけて調べ上げたものです。
彼曰く、調査の為に知り合いの記者を雇って運営陣に張り込ませるなど、かなりお金を使ったといいます。
その彼の暴露本は、彼亡き今、どうなってしまうのか?
私は真っ先に読売新聞社に、事の経緯と彼の暴露本の存在をリークしました。
しかし、読売新聞社は一切関心を示そうとしませんでした。
次に、mixiのジャーナリストコミュニティーで、この事を訴えました。しかし、関心を示すジャーナリストは誰一人としていませんでした。
どのマスコミにリークしても、反応は同じでした。
……それから10年以上の歳月が経ってしまいました。
「これを公表すれば、日本中が大騒動になる」と言っていた彼の原稿は、一体、どうなってしまったのでしょうか?
そして、彼に雇われていた記者は、誰だったのでしょうか?
それとも、全て彼のハッタリだったのでしょうか……。
どなた様か、彼の原稿の存在を突き止めて下さる事を切に願います。