2ch、「あめぞう」乗っ取りの経緯


1997年8月5日、あめぞう氏の「あめぞう」掲示板誕生。
(これが後に、マルチスレッド式掲示板へと発達した)

1999年4月頃、西村博之が「
ひろゆき」の名で「あめぞう」にデビュー。
(常駐し、半荒らしと化す)

★当事の博之の主張
「おいらは、米国アーカンソー州ユニバーシティーオブセントラルアーカーソンに留学中です」


この前後、「あめぞう」に荒らしが到来し、不調を来たし始める。

1999年5月22日、「あめぞう」の内部告発板に「京都市バス事件」スレッドが立つ。
(同和関係者による横暴と利権を訴える内容)

1999年5月30日、博之、勝手に「あめぞう」のマルチスレッド式掲示板をパクリ、2chを開局。

★この時の博之の主張
「避難所として2chを作りました」
「学生のお小遣いから、日本のサーバーを借りて運営しています」



1999年6月3日、東芝へのクレームHPが「あめぞう」で話題となり、「あめぞう」と2chで東芝叩きが発生。
(この事件はマスコミでも取り上げられ、2chは集客に成功する)

5月末から6月初に掛け、「京都市バス事件」スレッドが、何者かによって同和団体に密告される。
6月19日、あめぞう氏、同和団体から呼び出しを受け、内部告発板を閉鎖させられる。
その後、『あめぞう』に大規模荒らしが到来。ついで、あめぞう氏が謎の失踪。
自動的に、「あめぞう」の常連が2chへと流れ、2chが台頭する。

1999年7月30日、あめぞう氏不在の「あめぞう」の あめぞう速報板において、「2ch打倒の切り札」というネタスレッドが立つ。
このスレッドにおいて、
ひろゆきの友人が“西村博之”の名で登場。
そして、
ひろゆきが経歴と身分を詐称していた事を明かす。
ひろゆきは、留学中ではなく日本在住。学生ではなく東京アクセスの社長。レンタルサーバではなく、自宅サーバを使用していた事が判明。

「騙された」と、あめぞう住人から批判の声が上がる。
この際、
ひろゆきは悪びれた様子もなく、実は、クリックレート(広告料)欲しさに2chを作った事をほのめかす。

以降、同和団体へ密告し、「あめぞう」を荒らした犯人は、
ひろゆきではないかという疑いを受けながらも、2chの時代が始まる。

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